作曲家に関する豆知識
みんなからの質問:  クライスラーの曲ってどういう風に弾けばいいの?  どんな人だったの?
(1875・2・2〜1962・1・29)
ウイーンに生まれる。ウイーン音楽院で、ブルックナー、j・ヘルメスベルガーに学び、さらにパリ音楽院でマサール(ヴァイオリン)、ドリーブ(作曲)に師事した。
1888年ニューヨークでデビュー、その後、医学を修めるために音楽活動を中断したが、99年のベルリン・デビューで復帰。
1923年(大正12年)に来日した。1938年フランスの市民権を得たが、翌年からアメリカに本拠を移し、43年にアメリカの市民権を得た。
満87歳の誕生日を数日後に控えてニューヨークで亡くなる。
クライスラーは20世紀最大のヴァイオリニストの一人であり、それだけにヴァイオリンの作曲が多かった。
彼の演奏から感じられるのはノーブルな気品であろう。
代表的な曲はウイーン風の小品で【愛の悲しみ】【愛の喜び】【美しきロスマリン】などではないでしょうか?
粋で小味な演奏の中に、誰が聞いてもウイーンの町のよき時代に対するノスタルジックなものが感じられます。
T君からの質問: リュリはいつの時代の人?どこの国の人?
(1632・11・28〜1687・3・22)
イタリア、フィレンツェの粉屋の家に生まれる。
1646年にパリに赴き、1652年、ルイ14世のヴァイオリン奏者に採用され次第に宮廷バレエ作曲家の第一人者
と目されるようになります。
そのうちルイ14世のバレエの関心も薄れてくるとオペラが登場、リュリはそこで本領を発揮して、フランス・オペラの
創始者として名をはせます。
貴族の称号を与えられ、終生ルイ14世に寵愛されました。
参考文献
東京堂出版 クラッシク作曲家辞典
東芝EMI(CD) KREISLER  FamousViolinPieces  Vol.1
(1835・7・10〜1880・4・12)
ルブリンに生まれる。
母はピアノ奏者でした。小さい頃からヴァイオリンを習い始め、8歳でパリ音楽院に入学、ほどなく神童と呼ばれ、
公開コンサートが全盛期を迎えた19世紀では、まさに時代の申し子でした。
高度な技術を要するヴァイオリン作品を作曲し、彼自身の演奏によって広く世に受けいられていきました。
2曲のヴァイオリン協奏曲(1853、62年)をはじめ、ヴァイオリンと管弦楽の為のポロネーズ、
ピアノとヴァイオリンのためのマズルカ、ご質問の曲スケルツオタランテラなどが、彼の腕の冴えを彷彿とさせてくれます。
それと彼の考案したスタッカート技法は、ロシア派のヴァイオリニストに受け継がれ、20世紀の運弓法に多大な影響を及ぼした。
晩年は心臓を患い、チャイコフスキーのパトロンとしても有名なナデジタ・フォン・メック夫人に看取られて、
モスクワでその生涯を終えました。
1935年には没後100年を記念して、『ヴィニアウスキ国際コンクール』が開催され、52年よりボズナニで5年ごとに
行われるようになりました。
Aさんからの質問: 最近新幹線のコマーシャルで演奏されている曲名を教えてください。
            又、作曲者は誰ですか?
1600年〜1750年
 1750年〜1820年
 1820年〜1900年
 20世紀
Yさんからの質問: ヴィバルディのコンツェルトを弾いているのですが、いつごろの人ですか?
            又、有名な曲は何ですか?
(1678・3・4〜1741・7)
イタリアのヴェネツィアに生まれる。父は理髪店を営むかたわら、ヴァイオリニストとして活躍。
息子に安定した生活を送らせたかったのか、父は聖職者の道を歩ませた。
ヴィヴァルディは1703年からピエタの孤児院で音楽を教えるようになり、多数の器楽曲や声楽曲をかいて活躍する。
当時、ヴェネツィアはヨーロッパの交通、貿易の要所の一つであったから、コンサートの模様と演奏される作品の評判は
広くヨーロッパ中に伝わった。
晩年は人気も去り、41年ウィーンで亡くなり貧民墓地に葬られた。
彼の最大の功績は、ソロ・コンツェルト、すなわち一つのソロ楽器とオーケストラの為の協奏曲の形式を確立した事です。
その斬新な形式は、バッハやヘンデルの作品にも多大な影響を及ぼした。